2011年04月19日

おっ久しぶりです。

約2年間の時を経て、オノ イッセイ君がでってきたよ〜んグッド(上向き矢印)プッるんるんプッるんるんプッるんるん

皆さんお久しぶりです。いやぁ2年という月日がたつのはあっとゆう間ですね。気づけば2年も更新なしのZENブログー(長音記号2) やっとこさ、重い腰があがりました手(パー)

そういえば、前にテレビで見てとても印象深かったモノがあるので、今日はそれの紹介をしたいと思います。


知っている方もいらっしゃると思いますが、まずはこの写真をバッド(下向き矢印)



f0097429_2113450.jpg


この写真は、長崎に原爆が落とされた後に、少年の前では死体が焼却されているところを撮影したものです。ボクは初めこの写真を見たとき、(親が焼却されているのだろうか)と思っていました。しかし実際は違いました。その事実を知り、いろいろ思うものがありました。

以下引用

目撃者の眼  報道写真家 ジョー・オダネル

1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。(インタビュー・上田勢子)

[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
posted by ZEN設計室スタッフ at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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